感覚派アスレティックトレーナー  身体と会話する日々
マッサージ師、鍼師であり、アスレティックトレーナーでもあるフィジカル系職人が、身体について、スポーツについて、その他よしなし事について綴る、教養系?ブログ
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松田直樹の早すぎる死
昨夜、仕事から帰ってキッチンにいた私に
居間のテレビから聞こえてきたニュース。
JFL松本山雅の松田直樹選手が練習中倒れ、
意識不明の重体と言う。
凄く心配していた。
そして今日、早くも帰らぬ人となってしまった。
 『松田直樹選手が死去(msn 産経ニュース)

高校時代と横浜マリノス(当時)の最初期にしか
一緒のチームで活動することも
直接話をすることもなかったけど、
関わりのある(あった)選手として
高校2年の時からずっとずっと関心を持ち続け、
内心で応援してきた。

こんな記事(『Jリーグ松田直樹選手の思い出』)を
書いたこともある。
松田選手を悪しき例として挙げたが、
決して松田選手を悪く思ったことはない。
むしろ、松田選手のことは可愛いと思っていた。
あの頃、トレーナーとして第3者的に見ていても、
松田選手がサッカーを好きで好きでたまらない様子とか
ひと度気持ちが前向きになると
一心不乱に集中してプレーする様子が
遊びに夢中な子どものようで可愛かったのである。
心が真っ直ぐな人だった思う。


松田選手の冥福を祈る。


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テーマ:サッカー - ジャンル:スポーツ

なでしこジャパンを支えるトレーナー
なでしこジャパン
FIFA女子ワールドカップ ドイツ2011で優勝
し、
世間は多いに盛り上がっている。
女子の団体球技種目で世界一になったことがあるのは、
バレーボール東京五輪モントリオール五輪、世界選手権3回)と
ソフトボール北京五輪)の2つしか無かったんじゃないだろうか?
つまり、女子サッカーは、
世界一になった3番目の女子団体球技種目ということである。
これは、大変なことである。

そもそも、準決勝でスウェーデンを破り、
決勝進出とメダル獲得が決まり、
その時点で快挙であったのだが、
この試合の録画を見ながら、
私は画面にある人物が映るのではないかと探していた。
その人物とは、
アスレティックトレーナー江口陽子女史である。
アスレティックトレーナー江口陽子と言われても、
世間一般では知っているひとはほとんどいないであろう。
彼女は私の専門学校での元同級生である。
同級生と言っても私よりも11歳年下であるが。

花田学園・日本鍼灸理療専門学校がその学校である。
アスレティックトレーナー日本体育協会公認)という資格も無く、
当然それを養成する学校なども無かった時代、
スポーツに関わるトレーナーになるには、
鍼灸やマッサージの資格(免許)を取ることが
大きな一つの道であった。
花田学園は、数々のトレーナーを輩出し、
また既に第一線のトレーナーであった方々が
資格を取りに来る学校でもあった。
(今もそうですけどね。)

私も江口女子も、そんなトレーナーを目指す一人だった。
他にもそういう同級生が何人もいた。
高校を卒業してすぐに入学した江口女史は、
積極性と度胸と”男気”のある娘でした。

花田学園を卒業後も、
研修会で顔を合わせることが何度もあった。
そして、この数年間、
江口女子がサッカー女子日本代表のトレーナーを
務めていることを知った。
他のアスレティックトレーナーと交代で、
なでしこジャパンや他の年代別代表の
合宿や遠征に帯同していることも。

そんなわけで、準決勝スウェーデン戦の映像に
江口女子の姿を探したのである。
そして、ついにハーフタイムの映像に
江口女子が映っていることを発見した。
試合終了後の歓喜の輪の中にもその姿を見ることができた。
決勝戦のテレビ映像の中からは
江口女子の姿を見つけることはできなかったが、
彼女がその場にいることは確かであった。

アスレティックトレーナーとして、
そのチームや個人が良い結果を収めてくれることは
大変嬉しいことである。
ましてや、世界一の一員になるということは
誰でも経験できることではない。
江口陽子女史、おめでとう!!!



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テーマ:なでしこジャパン - ジャンル:スポーツ

今日の嬉しかったこと、昨日の残念だったこと!
今日、しばらくぶりにFacebookを覗いた。

土曜日に小学校の同窓会があったのだが、
その時友人の一人からFacebookで見たと言われので、
友達検索のページに表示される候補者の中から
思わぬ有人・知人が見つかるかも知れないと思い
探してみた。

すると、いました。
Yvonne Scott さん、
日本陸上競技界で活躍した金沢イボンヌさんのこと。

彼女については、以前こんな記事を書いた。
 『国体であった出来事 アイスバスの威力

早速、友達リクエストして、メッセージを送ったが、
返事ががすぐに来た。
彼女は私のことを覚えていてくれた。
残念ながら、私の英語力は拙く、
返事を送るにも時間がかかり過ぎてしまうが、
ネットを通じての交流ができればいいなと思っている。


残念なことは、
昨日ケニア人マラソンランナー、
サムエル・ワンジル選手の死を知ったこと。
かれは、一度だけうちの治療室に来たことがあり、
 『サムエル・ワンジル選手来る
 『続 サムエル・ワンジル選手来る
それだけに親近感を持っていたのだが、
早すぎる死にショックを受けた。
しかし、彼をうちに連れてきた真也加ステファンさんは
どんなにかショックを受けたことだろう。
少しで縁があった人達には、
やはり幸せであって欲しいと思う。


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テーマ:陸上競技 - ジャンル:スポーツ

選抜高校野球 群馬代表前橋工業小暮監督
今日(2010年3月21日)から、第82回選抜高校野球大会が始まりました。
群馬県代表は前橋工業高校で、
明日の大会第2日目第2試合で宮崎工業と対戦します。

前工が選抜大会に出場することは知っていましたが、
その監督が今大会出場校の監督の中で最も若い(唯一の)
20歳代の小暮直哉さんであることはつい1週間前まで知りませんでした。
たまたま読んだ読売新聞の紹介記事で
前橋高校野球部出身で2002年に選抜大会に出場したと知り
びっくりしてしまいました。
私は、2002年の選抜大会の時、
前橋高校前高 まえたか)のトレーナーを務めていたからです。

年齢と名前だけでは「あれ?」とは思っても、
多分彼のことを思い出せなかったでしょう。
プロフィールを観て思い出すことができ、
懐かしく感じました。

前橋工業前工 まえこう)は、群馬県内ではトップクラスの強豪校で、
甲子園大会での成績も古豪桐生高校はダントツとしても、
優勝1回の桐生第一高校と比べ遜色がない。
そんな前工野球部の監督にまだ若い小暮さんがなれるなんて、
事情はわかりませんが、10年前には考えられなかったことだと思います。

1997年頃から、たびたび前高野球部のトレーナーを努めることがありましたが、
県内随一の進学校であるため野球経験者が少なく、
中には少数ながら野球センスが良い生徒もいましたが、
県内野球強豪校に比べて総じて体力や技術が劣ったり
選手層が薄い印象がありました。
しかし、2002年の前高野球部には、(他の年に比べれば)
野球技術もあり体格もそこそこある選手がそろっていたようです。
その中にあって、小暮直哉さんは正キャッチャーとして活躍していました。

記事(上毛新聞産経)によれば、小暮監督は選手への強制や管理が嫌いで、
選手の自主性や考える力を引き出す指導を目指しているようです。
やらされるのではなく主体的にやる、
根性ではなく、根拠や理屈を理解した上で取り組む、
そうした指導方針は前高時代の松本稔監督の指導と共通するように思います。    ※1
また、前橋高校という高校の学生気質に基盤があるのかも知れません。


※1 松本稔監督

前橋高校時代の1978年の選抜大会で、
ピッチャーとして春夏を通じて史上初めて完全試合を達成したことで有名。
監督としても、中央高校と前橋高校の2校を各1回ずつ
甲子園大会に出場させている。


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(この記事は、2011年1月6日に一部修正しました。)

テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ

陸上競技人 山西哲郎先生 3(恩師 山西哲郎先生 その6)
山西先生の教えが、
「学生スポーツ(陸上競技)の枠・とらえ方を拡げた」こと
「誰にでも陸上競技における夢をもてることを示した」ことについて、
思い出したことがありました。

24時間リレー」という競技?があります。
10人一組になって、一人1マイル(1.6km)ずつ走っては次の走者にリレーし、
10人目の次はまた1人目につなぐというようにエンドレスにリレーして
24時間の間にどれだけの距離を走れるかを競う競技です。
アメリカかどこか海外で始められたようですが、
海外の新しいランニング・ムーブメントに詳しかった山西先生は、
もしかしたら日本で最初に24時間リレーを企画した人なのではないか
と思います。

私が大学に入学(1979年)する前に、
すでに群馬大学陸上競技部はやったことがあるという話を聞いて、
私たち中長距離ブロックの人間としては
いつかやってみたいというあこがれのような気持ちをもっていましたが、
大学2年の8月群大の陸上競技場において
ついに群大と拓殖大学との合同で24時間リレーが行われました
群大は複数チームを参加させましたが、
拓殖大学チームも複数チームを出したのか、
両大学の混合チームも編制したのかは、記憶が定かではありませんが、
中・長距離ブロック意外からもチャレンジした学生がいたような気がします。

24時間リレーは、一人当たりの走る距離は、
40kmが目安になると言われていました。
一人が25回ずつ走ると、1.6km×25でちょうど40kmになります。
一方、走る時間に注目すると、
全員が同じ回数(距離)走れば、
24(時間)÷10(人)=1440(分)÷10(人)=144(分)、
一人2時間24分平均走ることになります。
と、言うことは1回1.6kmを5分45秒6で走れば良いことになり、
そうするとできそうなペースに思えます。
あとは、チームメイト10名の個々の力を考慮して、
何人かはもう少し速いペースで走るといった個別の目標ができます。
頑張れば一人平均の走行距離を42.2km、
フルマラソンの距離を超えられることを密かに願いつつ、
私個人は1回1.6kmを5分20秒前後で走ったのではないかと思います。
走行距離は私は26回くらいで、フルマラソンの距離には届かなかったと思います。

当時、国内陸上競技部でこうしたチャレンジをすることは非常に珍しいので
毎日新聞群馬県板に大きく紹介されました。

大学3年時の冬には
群大と東京学芸大学陸上競技部の合同で、
東京~新潟間(国道17号上、総距離およそ340km)の駅伝が行われました

競走というよりも両大学がたすきをつなぎながら一緒に走るといった趣で、
これも一昼夜を通して走り続けるので
サポート部隊を含め皆で一緒にチャレンジをすることに
意義のあるイベントでした。
私は、残念ながら当時は右膝を痛めていて、
タイムキーパーなどサポートに回っていましたが、
走った仲間達はかなりの充実感を味わったようです。

前回触れたホノルルマラソン挑戦もそうですが、
他の陸上競技選手があまり経験しないチャレンジの場を持てて、
群馬大学陸上競技部に入ったこと・山西先生の指導を受けたことの
幸せを感じられました。


最後に、山西先生の陸上競技コーチとしての
技術を見る目について触れておきます。

私が大学1年時(1979年)の4年生には、2人の短距離のエースがいました。
おひとりは100mの方が得意で、もうひと方は200mの方が得意で、
この年群馬大学が関東インカレ2部で総合優勝できたのも、
100m、200m共にこの2人が2位、3位に入り、
400mリレーでも2位に入ったことが大きな要因の一つでした。
そのおひとり100mが得意の楢原先輩のフォームを評して、
「足首が伸びずに曲がったままなのが良い」と山西先生は解説していました。

当時(1970年代)、『陸上競技マガジン』(ベースボールマカジン社)や
『月刊陸上競技』(陸上競技社/講談社との共同発行)誌上では、
一流選手のフォームを連続写真によって解説していたが、
足が地面を離れる際、足首が伸びていることが良いと解説されていたと記憶している。
しかし、1983年にはその1~2年前から頭角を現していたカール・ルイスが、
世界陸上選手権で優勝したことで名実共に世界のトップに躍り出たことで、
そのフォームの連続写真が紹介されると、
足首はあまり伸びずに曲がってままでいることが示されました。
1991年、東京で世界陸上選手権が行われた時、
日本のバイオメカニクスの専門家が集まり、
世界陸上に出ている一流選手のフォームを
科学的に分析するプロジェクトが進められました

その結果、世界の一流選手に共通するのは、
やはり足首はあまり伸ばされないという事実
でしたが、
山西先生はその10年以上前から足首を伸ばさない
技術の優位性を認識していたわけです。

豊田敏夫200m  Carl Lewis100m
(日本選手権優勝100m1回、200m4回で、
1970年代後半~1980年代前半の日本のトップスプリンター豊田敏夫(左)と、
1980年代前半~90年代初に100mでオリンピック2回、世界陸上3回の優勝、
ベスト記録9秒86のカール・ルイス(右)、
二人の足首の角度を見比べて欲しい。)

また、「大学3年まで肉離れが多かった」楢原先輩は
大学卒業後、教員になってからもしばらく好調を続けていました。
それについては、山西先生は、
「教員になって練習量は減ったが、
小学校で教師として授業をするので立っている時間が増えた。
そのことが、脚の筋肉を鍛え、肉離れを防ぎ
パフォーマンスを上げているのではないか。」
という考察をされていました。
このことはトレーナーとしての知識を得た私が考察するに、
立ち仕事というクローズド・キネティック・チェーン(荷重下)における動作が多いことで
一方では抗重力筋(大腿四頭筋・下腿三等筋・前脛骨筋など)が鍛えられ、
他方ではハムストリング筋などの二関節筋における
筋収縮のタイミングなどの調整機能が向上し、
筋や関節を適切に使えるようになって肉離れを起しにくくなり
地面反力を推進力に利用しやすくなったという
解釈もできるのではないかと思います。
つまり、山西先生の考察は的を射ているのではないかと思うわけで、
「短距離は速筋が大切だけど立ち仕事では遅筋しか働かないから関係ない」
といった単純な考えでは生きた人間は説明できないと思います。

1990年代のことでしたが、
私はよく関東インカレに出かけ、山西先生と観戦しながら
選手のフォームの善し悪しなどを語りかけていました。
そんな時、眼前で行われているレースで走っている
中大の選手(武井康真選手だったと思う)について、
「佐藤君は、あれが良いフォームだと思っているかもしれないが
あれではまだ足が後ろに流れている。」
とおっしゃったのにはビックリし、
フォームを見る厳しい眼力に感心しました。

最近でも、ふとしたタイミングで鋭いこと(体幹の重要性)をおっしゃり、
走技術についても最新の知見を理解されているのかなと感心するとともに、
「感性」を重視する先生だけに知識だけの浅いものではなく、
科学的分析、技術論、感性とが統合されたものとしてお持ちなのかなと思うと
今後も指導の現場に立って欲しいと思います。


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プロフィール

フィジカル系職人

Author:フィジカル系職人
職業:マッサージ・鍼治療院経営
   アスレティックトレーナー
生息地:群馬
本名:佐藤 暢彦

身体のこと、治療のこと、スポーツのこと、などなど。日頃考えていること、興味を持っていることについて、書いていきたいと思います。

このブログについて:更新作業は治療室内のMacで行なっていますので、早朝や深夜、休業日の木曜に更新されることは基本的にありません。



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