感覚派アスレティックトレーナー  身体と会話する日々
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陸上競技人 山西哲郎先生 2(恩師 山西哲郎先生 その5)
陸上競技の指導者としての山西哲郎先生についての続きです。

前々回、『教育者 山西哲郎先生(恩師 山西哲郎先生 その3)』で紹介した
山西先生の東京教育大学時代の先輩および後輩(教え子)の諸先生方は、
山西先生同様陸上競技の指導者でもいらっしゃいます。
その諸先生方がつくった中・長距離研究会について自宅から資料が見つかったので
今回の初めに紹介したいと思います。

私が自宅で見つけたのは中・長距離研究会が
陸上競技の月刊専門誌『陸上競技マガジン』に連載した
ランナーのための科学的トレーニング』という連載記事です。        ※1
「~連載に先立って~」と副題のついた山地啓司先生の文(連載第1回)に   ※2
「6年前の昭和48年6月」という記述があることから、
連載が始まったのは昭和54(1979)年ということになり、
手元には連載35回分が残っているので
最低でも足掛け3年連載が続いたことになります。
今読んでも中・長距離走の「科学的トレーニング」について
わかりやすく、しかも詳しくまとめられていて、
現在でも充分通用する解説書となっています。
このような研究成果を陸上競技マガジンという一般誌を通じて、
広く陸上競技ファンレベルまでに公開し知らしめたという点で、
中・長距離研究会が日本の中・長距離走トレーニングの啓蒙・普及に果たした功績は
大きいのではないでしょうか。

この『ランナーのための科学的トレーニング』で、山西先生は、
第1部体力編の中の「足とシューズ」(「コンディショニング 4」)と、
第3部トレーニング編の第1章から第3章および第5章と
第6章のうちの「クロスカントリー」と「ファルトレーク」を担当されています。
「トレーニングの歴史」と「トレーニング方法」についての章を担当していることからも
中・長距離走のトレーニングに詳しいことがわかると思います。
(1990年代のある時、W大の某有名選手に卒論について
相談されたと言うトレーナーの卵の女の子に、
山西先生の著作からトレーニング法の解説部分を教えて上げたことがあります。)

クロスカントリーと言えば、1977年3月、
山西先生は群馬大学陸上競技部2名を加えた4名の選手を引き連れ、
本場ヨーロッパで行われたクロスカントリー大会に参加しています。
その後に入学した私とその仲間達も、
山西先生から本場ヨーロッパのクロスカントリーレースの様子、
ヨーロッパ人達のレースへの取組み方などを興味深く聞かされました。

また、私の2年時には関東インカレの1部で戦ったとは言え、
前年の2部優勝校と言えどもレベル的には全く歯が立たなかったが、      ※3
山西先生は群大生に
「関東インカレには日本トップクラスの選手が参加している。
そのウォームングアップのやり方や練習の動きなどを良く見てきなさい。」
という主旨の指導をされていた。
特に出場できない部員などは、
選手のサポートやマネージャーの補助をしたり、
単に応援だけに来たようになるが、
そんなときでも「陸上競技の(勉強の)場」であることを強調していたのです。
昔から観察好きの私などは、そうした教えに意を強くして見て回り、
「動きを観る」という今につながる勉強をさせてもらったと思っています。
(大学によっては、部員は行動をかなり制限させられています。)

群馬大学陸上競技部における山西先生の指導は、
志し高く、ヨーロッパのクロカン参加などの国際経験は、
一部部員のみの経験かもしれないが、
陸上競技一流校でもそうそう作り得る経験ではないのではないかと思います。
厳密には陸上競技からは離れてしまうかもしれませんが、
群馬大学では(もちろん少数派ではあるが)陸上部員もその他の学生も含め、
卒業記念に山西先生と一緒にホノルルマラソンへ参加することが恒例になっていて、
一部の学生にとってある種のあこがれであったことは確かです。

一流レベルの選手はいなかったかもしれませんが、
群馬大学における山西先生の指導は、
学生スポーツ(陸上競技)の枠・とらえ方を拡げたこと、
誰にでも陸上競技における夢をもてることを示した、
そんなところにも意義があったのではないかと思います。


※1 中・長距離研究会編『ランナーのための科学的トレーニング』

章立てと文責者は以下のとおりである。
(所属・職名は当時のもの。左端数字は連載の何回目かを表す。)

 1 「~連載に先立って~」 文責:山地啓司(富山大学助教授)
 2 第1部 体力編 第1章「中長距離走と選手の特性」 文責:山地啓司
 3  第2章「中・長距離選手の身体的特性」 文責:雨宮輝也(スポーツ研究所)・山地啓司
 4  第3章「中・長距離走とエネルギー(1)」 文責:雨宮輝也・山地啓司
 5  第3章「中・長距離走とエネルギー(2)」 文責:山崎省一(防衛医科大学)・山地啓司
 6  第3章「中・長距離走とエネルギー(3)」 文責:豊岡示朗(大阪体育大学)・山地啓司
 7  第3章「中・長距離走とエネルギー」 文責:雨宮輝也・山地啓司
 8  第4章「最大酸素摂取量」 文責:山地啓司・山崎省一
 9  第5章「コンディショニング 1.ウォーミングアップ」文責:中長距離研究会・山地啓司
10  第5章「コンディショニング 2.熱さ・寒さと記録」
                       文責:伊藤静夫(スポーツ研究所)・山地啓司
11  第5章「コンディショニング 3.低酸素(高所トレーニング)」 文責:山地啓司
12  第5章「コンディショニング 4.足とシューズ」文責:山西哲郎(群馬大学)・山地啓司
13  第5章「コンディショニング 5.マッサージ」文責:斎藤三郎(渋川高校教員)・山地啓司
14~15 第5章「コンディショニング 6.栄養」 文責:梶原洋子(文教大学教)・山地啓司
16 第2部 技術編 導入部「ランニング技術とは何か?」 文責:山地啓司
17  第1章「ランニング技術の把え方」 文責:有吉正博(東京学芸大学助教授)
18  第2章「ランニングペース」 文責:有吉正博
19  第2章「ランニングペース(続)」 文責:有吉正博
20~21 第3章「ランニングフォーム」 文責:石井正幸(都立駒場高陸上部コーチ)・有吉正博
22  第3章「中朝距離種目の作戦(1) 作戦計画の予備知識」
                  文責:山口政信(明治大学講師・競技部コーチ)・有吉正博
23  第3章「中朝距離種目の作戦(2) 試合の戦略と戦術」
                  文責:山口政信(明治大学講師・競技部コーチ)・有吉正博
24  第3章「中朝距離種目の作戦(3) 試合の作戦の実際」
                  文責:山口政信(明治大学講師・競技部コーチ)・有吉正博
25 第3部 トレーニング編 第1章「トレーニングの歴史」 文責:山西哲郎
26  第2章「(2)トレーニング方法」 文責:山西哲郎・山地啓司
27  第3章「トレーニング法と実際」 文責:山西哲郎
28  第4章「(2)トレーニング方法」 文責:有吉正博
29  第5章「(3)トレーニング方法と観察」 文責:有吉正博・山西哲郎
30~31 第6章「レペティショントレーニング」 文責:豊岡示朗
32  第6章「野外走(その1) クロスカントリー」 文責:山西哲郎
33  第6章「野外走(その1) ファルトレーク」 文責:山西哲郎
34  第6章「ペース走」 文責:有吉正博
35  第6章「タイムトライアル」 文責:有吉正博


※2 「~連載に先立って~」と副題のついた山地啓司先生の文(連載第1回)

この文中には、中・長距離研究会の成立の経緯が書かれている。
昭和47(1972)年頃、山地啓司氏が
当時のリッカー陸上部監督の布上氏と浜松北高校陸上部顧問の山本氏の
両氏からの疑問や問いかけに触発され科学的トレーニングを
山西先生と相談した結果、
「ランナー(中長距離)に関する総合的な研究討議」の場をつくることになり、
昭和48(1973)年6月頃に発足した。
毎月定例会を開き、当初6~7名でスタートしたが、
陸上競技マガジンでの連載開始当時は会員数30~40名にもなっていたと言う。


※3 前年の2部優勝校と言えどもレベル的には全く歯が立たなかった

一部の群大の選手には、入賞し得点を稼ぐ可能性を有していた。
前年2部でやり投げに優勝した須藤浩通先輩などは、
その時の記録なら1部でも2~3等相当であったが、
1部にあがった4年時は不調に陥ってしまっていた。
また、同じく期待された征矢英昭先輩(現筑波大学教授)は、
10種競技の走り幅跳びの着地に失敗し、足を骨折してしまい、
当然のことながら期待されていた入賞=得点は不可能になってしまった。


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(この記事は、2011年1月6日に一部修正しました。)

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陸上競技人 山西哲郎先生(恩師 山西哲郎先生 その4)
陸上競技人としての山西哲郎先生には、
(元)競技者と指導者の2つの面があります。

競技者としての山西先生については、
私は先生自身の語られたお話と著作とで知るのみです。
大学で本格的に陸上競技を始めた先生は、
箱根駅伝を走られたことも、
関東インカレインター・カレッジ)のマラソン(今はハーフマラソンが行われている)
に出場したことなどを知るのみであり、
一流の学生ランナーであったとは言えないことも知っています。

指導者としては、
特に群馬大学陸上競技部(36年間)についてみれば、
日本を代表する選手を育てたということもなく、
大学を関東の強豪校にしたわけでもありませんが、
違った意味で優れた力を持った指導者であったと思います。

まず、何が優れていたのかというと
単なる勝ち負けや技術論、戦術(駆け引き)のレベルで終始するのではなく、
「陸上競技とは何ぞや?」という思想・哲学がある
ということです。
陸上競技の源を、人類の進化史と歴史から考察し、
人間の自然な衝動の発露としての走・跳・投があるのであり、
生きるということとこれらの運動はイコールで結ばれているのであり、
だからこそ走ること跳ぶこと投げることそのものが「喜び」を生むのである。
競争の面白さも人間の感情としてあるが、
それだけなら水泳でも野球でもサッカーでもチェスでもいいはずで、
「なぜ陸上競技なのか?」の答えにはならない

こうした(私なりに理解した)考え方は、
私に陸上競技をすることの自信を与えてくれました。

では、山西先生はスポーツ学者らしい哲学・思想を持っているだけかと言うと
トレーニング法に関しても優れていたのではないかと思います。
特に中長距離走のトレーニング法については
山西先生はその著作でもトレーニング法を詳しく書いているように
知識も豊富です

運動生理学的な知識も含め、
大学などのコーチ・監督にいろいろ相談をされることもあったようです。
(以下に述べる学生時代のトレーニングは、
主に新入生と中長距離ブロックでのお話です。)

中長距離のトレーニング法に関しては
筋力トレーニングを重視していたことも特筆されるべきでしょう。
それはセラティの影響もあるかもしれませんが、
私が学生時代(1979~1984)にやった(やらされた)トレーニングを考えると
クロストレーニング」を意図して取り入れた、
今でいう「コア体幹トレーニング」や「バランス・トレーニング」をやっていた、
という部分が(今になってみると返って)先進性があったと言えると思います。

クロストレーニングとは、専門種目のトレーニング意外のトレーニングを行うことです。
例えば、球技種目や陸上競技の選手が水泳を取り入れたり、
前へしか走らない陸上競技の選手が球技を取り入れたり、
スキーや水泳の選手がランニングを取り入れたりすることです。
こうすることで、専門的トレーニングではあまり使わない筋肉を刺激したり
関節の動く範囲や力のかかり方やスピードが変わることで
関節の機能と筋力や筋のコーディネーション能力などを維持または向上させ、
オーバーユースなどのスポーツ外傷・障害を予防したり、
総体的な体力・運動能力を維持・向上を計る
のです。

1970年代~80年代あたりでは、クロストレーニングという概念は
日本にはあまり普及していなかったと記憶していますが、
山西先生は当時クロストレーニングという呼称こそ使っていませんでしたが、
実際のトレーニングは正にクロストレーニングを取り入れていました

それは、当時「補強」と呼ばれていたエクササイズが中心ですが、       ※1
自分の身体を負荷とした筋トレや様々なパターンのジャンプやダッシュ、
ハードルを用いてジャンプしたりくぐったりする体操的な運動、
身近な重量物を用いた筋力強化運動などをやらされました。
特にケガをして走れない時に勧められたのが
スポーツ自転車(ロードレーサー)で走ることと水泳でした


上で紹介した運動の中には
逆立ち手押し車セミと称する木の幹にしがみついてるトレーニング、    ※2
ハンマー投げ用のハンマーをスイングする(左右10回ずつ回す)などは、
体幹(コア)の強化メニューとして優れているし、
バランスを崩さないようにとることで一層コアの機能が強化できます
。     ※3

山西先生の中長距離走の専門トレーニングは、
セラティ流(そのままではなかったと思います)、
リディアード式、
インターバル・トレーニング
などがすべて取り入れられていたようです。
当時、年に何回か合宿で行っていた東京大学検見川グラウンドなどでは、
リディアード式のヒル・トレーニングをよく行いました。
むしろヒル・トレーニングを行わせたくて
土(草地)の坂の多い東大検見川グラウンドを選んだのかもしれません。


この辺で、山西先生の群馬大学監督時代の主な実績を挙げてみます。

群馬大学の教え子には、中長距離ではあまり強い選手が生まれませんでしたが、
1978年の日本インカレで1500で決勝に残り、
前半先頭を果敢に引っ張り8位に入った小林均氏が唯一特筆されます。
順位(得点)を意識しすぎて牽制し合う強豪大学の選手たちを、
不利を承知で弱小無名の群馬大学の選手が引っ張ったのですから、
後輩としては今でも胸がすく思いがします。
また、同じ1978年正月、当時山西先生が指導していた拓殖大学駅伝チームが
箱根駅伝で8位に入り翌年のシード権を獲得しました。
(大学時代、よく拓殖大学(中長距離ブロック?駅伝部?)と合同で合宿しましたが、
 練習ではレベルが違いすぎて苦労しました。)

私が入学・入部した1979年、
5月に行われた関東インカレでは群馬大学は2部優勝
し、
翌年は1部に昇格することが決まりました。
(1980年のインカレでは1部で最下位になり
2部へ降格してから現在に至っています。)
この1978年~1979年は山西先生の監督人生でも
出色の時期ではなかったでしょうか。

この他には、1996年の日本インカレ男子走り幅跳びで
瀬山亮君が優勝したり、
同じく1991年の日本インカレ男子400mHで
狩野豊君が8位に入賞したりするなど、
時々個人でインカレや国体等で活躍した選手が現れています。         ※4


※1 「補強」とクロストレーニング

補強(運動)」とは、
通常は体重のみを負荷にして行う筋力トレーニングが多い。
腕立て伏せやシットアップ(腹筋)、背筋、スクワットなどであるが、
そのバリエーションは多い。
多くの中学・高校の運動部で、それぞれのやり方で広く行われていたと思う。
競技の専門的なトレーニングに意図的な「補強」を加えることは
今で言うクロストレーニングの意味合いを持つ。
しかし、真にトレーニングの「全面性の原則」に従って
クロストレーニングとしての効果を高めるには、
水泳、バイク(自転車)、スキー、専門以外の球技など
目的と効果を考慮して幅広く計画的にトレーニングに取り入れるべきである


前の方で「(今になってみると返って)先進性があった」と書きましたが、
この後出てくる逆立ち・手押し車・セミなどを含めて、
自体重での補強・ハードル補強等々ここで取り上げたトレーニングは
個々に見ると実はどれも目新しいものではありません。
むしろ古くさいくらいのトレーニング法です。
金がない、(商品としての)道具もない時代の
先人達の知恵から生まれて広く行われてきたトレーニングです。
ところが、ウエイト・トレーニングの限界が(大げさに)言われるようになり、
>「体幹」から「コア」と呼び方が変わり
やれ「インナーマッスルだ。」「バランスだ。」「スタビライゼーションだ。」
と言うようになってみたら、
昔からやってきたトレーニングにもそうした要素がある、
そうした効果があると見直されてきた
だけのようにも見えます。
ただし、山西先生は偶然そうしたトレーニングを取り入れたわけではなく、
当時からバランスよく身体の各要素をトレーニングしようし、
クロストレーニングの意味をわかっていてトレーニングを配置したから、
先進性があったと私が評しているわけです。


※2 逆立ちや手押し車やセミ

逆立ちや手押し車は、
体重支持に慣れていない両上肢帯(肩甲骨~腕~手)で体重支持をし、
身体を逆さまや横にした姿勢で保つので、
背骨(腰椎)を反らさないように支えれば体幹(コア)に強い負荷をかける
立派なコア・トレーニングとなる

腕立て伏せも同様で、脊柱(体幹)を真っ直ぐに保ったまま行えば
肩・上肢・胸とともにコアのトレーニングとなる。
セミ(木の幹にしがみつく)のも上肢・下肢の筋力だけでなく、
それをつなぐ体幹(コア)のトレーニングにもなる。
共通するのはバランスを含め姿勢制御が課題となるのであり、
昔から多くの運動部でやられていたことであろうことであるが、
近年の体育授業の内容または教師の変化からか、
こうした運動経験が乏しく、
従ってコアの筋力・コントロールの下手な運動部員が多くなったと感じる

コア・トレーニングやバランス・トレーニング、
スタビライゼーションなどと言われなくても
昔から自分の身体を使ったトレーニングで強化していたのである。
特に高校生までは様々な身体動作・運動経験をさせてやるべきである

※3 ハンマーをスイングする

ハンマーを両手で持ち、
ハンマー投げのスイングのように自分の身体の周りを回す運動である。
一般用7.26kgのハンマーをスイングするのは
中長距離選手にはきついが、
スイング中体幹部の筋群が強く締まるのが感じられる。
群大の選手はあまり速くならなかったが、
当時としてはトレーニングはバラエティに富んでいたと思う。
山西先生は、あの小さな身体で上手にスイングしていた。


※4 個人的に活躍した選手

その最大の選手は、磯貝(旧姓)美奈子選手であろう。
群馬県立富岡東高校で時代、インターハイ女子走り幅跳びで2連覇し、
群馬大学入学後も走り幅跳び(6m58)と七種競技(5537)の
日本新記録をマークしている。
実際の大学時代の陸上競技の指導は、高校時代に引き続き
高橋賢作氏(現中央大学女子陸上部監督)が行っていた。

しかし、陸上競技部員として、教育学部保健体育研究室生として
山西先生に受けた影響は小さくないようである。



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教育者 山西哲郎先生(恩師 山西哲郎先生 その3)
今回は、教育者山西哲郎先生について、書いてみたいと思います。

山西先生は、根っからの教育者であると感じます
山西先生が、講義を受ける学生に、陸上競技部員に、
指導する研究室生・大学院生に、
単なる知識・技術の伝授ではなく
先生自身の人格をぶつけるように語り、体験させ、問いかけ、
全人的な成長を期待する人であるから
です。

山西先生の教育者としての顔は、
よき教師を育成しようという(教育学部の教官としての)使命感、
共に学ぶ者(研究者?)を育てたいという願い、
陸上競技のチャンピオン(※1参照)を育てたいという意欲、
内なる自然と調和した人になって欲しいという想いなど
様々な形での人との関わりの中に常にうかがえるように思います。

群馬大学陸上競技部に入部した私たちに、
山西先生は、熱く、また面白おかしく、多くを語りました。
「勉強しなさい」「本を読みなさい」と運動部で語る監督が他にいるのだろうか?
ジャン-ジャック・ルソーの『エミール』や
ピーター・セラティの『チャンピオンへの道』を読むように勧められ、  ※1
週1回昼休みに山西研究室に1年生部員が集められて勉強会が開かれ、
多くの学生がその強力な個性と指導に影響を受けました。

教育学部の学生には、
エミール』始め、元宮城教育大学学長の林竹二氏(故人)や
元教師で作家の灰谷健次郎氏(故人)などの
様々な人物やその著作を学生達に紹介し、
教育とは何か、教師とは何か、ということを考えさせました

山西先生の教え子には、多くの研究者が生まれました
私の知る限りでも、
東京教育大学の助手券陸上競技部コーチとなった時代の
教え子にあたる(と思われる)
豊岡示朗氏(大阪体育大学教授)
有吉正博氏(東京学芸大学教授)
伊藤静夫氏(日本体育協会スポーツ科学研究室長)等がいらっしゃいます。
(ただし、上に挙げた諸氏の進路選択に、山西先生の存在がどの程度影響したのかは不明。)
後に山西先生は、大学時代の先輩であった
山地啓司氏(現立正大学法学部教授、元富山大学教育学部教授)等と     ※2
中長距離研究会という勉強会を立ち上げ、
後に研究者や陸上競技指導者だけでなく
市民ランナーもが参加するランニング学会へと発展しました。

群馬大学教育学部へ移ってからの教え子からも
深代千之氏(東京大学大学院教授)
征矢英昭氏(筑波大学体育科学系教授)
山口明彦氏(北海道医療大学歯学部准教授)
柳田昌彦氏(同志社大学スポーツ健康科学部教授)
桧垣靖樹氏(福岡大学スポーツ科学部准教授)
中野裕史氏(中村学園大学人間発達学部准教授)
狩野豊氏(電気通信大学准教授)
谷口勇一氏(大分大学教育福祉科学部准教授)
山本正彦氏(東京工芸大学工学部助教)
関耕二氏(鳥取大学地域学部准教授)

等が出ています。       
(山本氏を除く9名は、群馬大学教育学部卒であるが、
 全員が山西研究室出身であるかどうかはわかりません。
 山本氏と柳田氏を除く8名は、群馬大学陸上競技部出身。
 山本氏だけは関東学院大学卒業、群馬大学大学院での山西先生の教え子。)

以前は群馬大学には教育学系の大学院がなかった(医学系、工学系はあった)ので、
深代氏は東京大学大学院へ、
谷口氏は広島大学大学院へ、
征矢氏以下狩野氏までは筑波大学大学院へ進学しました。
大学院のない大学(群馬大学教育学部)から、
これだけ多くの研究者を教え子から生んだのは、
山西先生の影響が少なくなかったと考えられます

(若い関氏のみは、教育学部を卒業後、
すでに設置されていた群馬大学大学院教育学研究科に進みました。
近年の群馬大学での教え子は、
そのまま群馬大学大学院へ進むケースが多かったようです。)


※1 ジャン-ジャック・ルソーの『エミール』と
   ピーター・セラティの『チャンピオンへの道

エミール』は、18世紀の啓蒙思想家ルソーの教育論の古典であり、
近代教育学の出発点となったともいえる書である。
現代からみればおかしなところもあるだろうが、
特に、子どもは小さな大人ではなく、
こどもの本性に即した教育の必要があると唱えたのだと考えると、
現代でもそのことを理解できていないものが多いことを考えても
今も学ぶべき普遍的な価値を持つ書であると言えよう。
もっとも私は初めの方だけしか読んでいないが。
ルソーの教育論

正式書名『陸上競技 チャンピオンへの道』は、
1950~60年代にオリンピック金メダリストを始め
国際的に大活躍した中長距離選手を育てた
オーストラリア人のコーチ、パーシー・セラティの著書。
「重要なのはできることではなく、できるように努めることである」という価値観と、
自然に学び自然な動きを尊ぶ(考察は合理的科学的と言える)姿勢に貫かれている。
1963年ベースボール・マガジン社から日本語訳の初版が出されたが、
現在は絶版となっていて入手は非常に困難である。
セラティの哲学や指導については、
永遠のセラティ-自然流ランニング哲学-山西哲郎高部雨市 共著 
 (株式会社ランナーズ 1989) ※絶版(入手は若干なら可能)
パーシー・セラティ/自由と野性のランニング』1~5 高部雨市
 (「ランニングの世界」1~5 明和出版〈年1~2回刊行〉 2005~7)
が参考になる。
『永遠のセラティ』は名著である。


※2 山地啓司氏はじめ山西先生の東京教育大学時代の仲間

山地啓司氏:著書に『マラソンの科学』(1983 大修館書店)、
最大酸素摂取量の科学』(1992/『改訂 最大酸素摂取量の科学』2001 )など。
ランニング事典』(ティム・ノックス著/ランニング学会訳 1994 大修館書店)や
山西先生を含む共著も数冊ある。
著書の案内などで拓殖大学駅伝部監督という職歴があるが、
山西先生がやはり拓殖大学駅伝監督をやっていた時期(70年代末~80年代初め)の
前あたりだろうか?
ランニング学会の会長も山地氏が先になり、
その後山西先生がなっていたり、
今年から山西先生は立正大学教授に迎えられたが、
山地氏は1年前に立正大学(法学部)の教授に就任していて、
どうやらお二人の研究室は隣り合っているらしい。
とにかく、山地氏と山西先生の縁は深い。

豊岡示朗有吉正博両氏は、
大学陸上競技部の指導者としても数々の選手を育成してきた。
また、両氏にも山西先生、山地氏同様、ランニングについての指導書を著わしている。
両氏と山西先生との共訳の本に
中・高校生の中長距離走トレーニング
 (ラリー・グリーン、ルス・パティ著 大修館書店 1999)があり、
前述したランニング学会訳の『ランニング事典』の訳にも参加されている。

両氏と伊藤静夫氏だけでなく、
山西先生の東京教育大学(陸上競技部)での教え子から
多くの方が大学院に進んだようだ。
山西先生の著書『山西哲郎の走る世界』(ランナーズ 1991)の中に、
「選手たちを被験者にして、最大酸素摂取量や乳酸などの実験を行っているうち、
選手も科学的トレーニング法に興味を持ち、半数以上は大学院に進学した。」(P47)
と書かれている。
私(と征矢氏)の高校時代の陸上競技部の顧問斎藤三郎先生も、
やはり山西先生の教え子であり、
大学院まで進んだ後高校教師となったが、
その後も中長距離研究会、ランニング学会と参加されている。


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研究者 山西哲郎先生(恩師 山西哲郎先生 その2)
前回、山西哲郎先生の研究者としての面を取り上げましたが、
実際には山西哲郎先生が運動生理学の研究者として
どのように評価されていたのかは私にはわかりません。
独創的なことはやっていなかったかもしれません。
しかし、ともすれば研究とスポーツ・運動指導とが断絶し、
大学の研究者はスポーツ・運動指導の現場に出ていかず、
一方現場指導者は最新の研究成果を知らず指導に活かせない
という傾向が強かった中で、
山西先生の実践は研究とスポーツ・運動指導の実践とが
結び付いていたのが特徴であったのではないか
と思います。

体育科専攻でもない私が
最大酸素摂取量測定の実験に被験者やアシスタントとして加わったこともそうですが、
先生が指導する多くの市民ランナー等が
最大酸素摂取量の測定実験の被験者になられたことは

様々な年齢・活動レベルの人々の運動生理学的データを集められる価値もあったが
被験者となった方々にとってもランニングや運動することの意味を
科学的な面から体感的に理解できるよい機会であった
ように思います。

(今から30年も前の時代には、
学生や実業団などの陸上競技選手やコーチ向けの本がわずかにあるだけで、
ランニングを愛好する一般人に向けた本など皆無に近く、           ※1
運動生理学的な知識を市民ランナーにわかり易く解説する書物など
ありませんでした。
また、最大酸素摂取量のデータなどは学生などから得たもの中心で、
子どもや中高年のデータは少なかったのです。)

山西先生は酸素摂取能力(全身持久力)の評価法について精通していて、
それらは今日スポーツ・運動指導に広く役立っています。
最大酸素摂取量は全身持久力評価の指標になりますが、
どこでも誰にでもできるものではない最大酸素摂取量測定に代わり
簡便に酸素摂取能力を推定する評価法である12分間走テストや
そのさらに簡便な評価法である5分間走テスト、
現行の体力テストで採用されているシャトルランなどの
それぞれの測定法やデータの意味など相互の違いに精通し、
子ども、中高年者、知的障害児など様々な人々に持久力評価と運動処方
実践するとともに著作や講習会等を通じて広めてきました
。          ※2
また、酸素摂取(要求)レベルと心拍数との関係から
心拍数を目安にして歩行・ランニング強度の決定するなど、
現在市民ランナーの間でも常識化していることを
いち早く指導していました
。                        ※3
私が高校の陸上部時代に練習中よく心拍数を数えました。
当時の顧問斎藤三郎先生(現群馬県総合スポーツセンター長)は
東京教育大学で山西先生の指導を受けた方で、
斎藤先生自身も学生時代心拍数を数えさせられたのでしょう。
私が群馬大学で山西先生から直接指導を受けた時も
当然毎日練習の合間によく心拍数を数えました。

このように、山西先生の研究の特徴は、
運動生理学の知識を活かして学生や市民を指導しつつ、
指導するから学生や市民から運動生理学的なデータを
また収集していたことにあるのではないか
と思います。
それらのデータが中高年の方々へのランニングや運動指導に
フィードバックされて活かされていったわけで、
指導と研究が車の両輪のように一体となっています
そして、今日のランニング/ジョギング・ブームや
ウォーキングなどの有酸素性運動の価値が認知されていること、
中高年や生活習慣病対策としての運動処方のあり方など、
山西先生ひとりの功績ではないが、
その一翼を担ってきたことは間違いないのではないだろうか。


※1 ランニングを愛好する一般人に向けた本が皆無に近かった

そうした本を書いていたのが、山西哲郎先生であった。
山西先生の最初のランニング本の出版は、
1975年の『走れ!! 健康をつくるランニング』(成美堂出版)であったかと思う。


※2 様々な対象への全身持久力評価と運動処方

山西先生の関わった研究を以下にいくつか紹介する。
連名での論文には山西先生以外の1名の名前と人数を記した。
トレッドミル走行における負荷方法にかんする研究 : キネシオロジー」 渋谷貞夫他6名
  日本体育学会大会号 1972
心拍数屈曲点と有酸素的作業能力の関係について」 中野裕史 群馬大学教育学部紀要 1992
小学校低学年児童の運動能力テストに関する実験的研究」 宇田川宏他5名
  体育學研究 1971
中学生の持久走時間についての実験的研究 : 発達発育的研究」 武政喜代次他3名
  日本体育学会大会号 1972
小・中学生の全身持久力の発達に関する研究」 群馬大学教育学部紀要 1978
小・中学生の全身持久力の発達に関する研究(2)」 萩原豊他2名
  群馬大学教育学部紀要 1980
中高年の長期的ランニング・トレーニングの効果について」 群馬大学教育学部紀要 1983
中高年者の健康増進のための運動処方 : 群馬県赤城村における実践(I)」 山口明彦他2名
  群馬大学教育学部紀要 1987
中高年者の健康増進のための運動処方(2) : -群馬県赤城村住民の身体活動量について-
  群馬大学教育学部紀要 1989
生活様式と全身持久性との関係(2) : 最大酸素摂取量の変化から」 土井由夫他2名
  群馬大学教養部紀要 1989
ジョギングの科学的実践 (ジョギングの科学<特集>)」 体育の科学 1981
成人の健康と運動 : 成人の健康と運動 : 体力医学の応用と実践」 体力科學 1983


※3 心拍数を目安にした歩行・ランニング強度の決定

1990年代頃?にランナーズ誌上などで紹介された『マフェトン理論』が
心拍数をランニング強度の指標とすることを提唱したものとして有名。


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恩師 山西哲郎先生 その1
前回、私の群馬大学時代の陸上競技部監督でいらっしゃった
山西哲郎先生(現立正大学教授)が、
今春群馬大学を退官されたことに触れました。
その山西先生について、個人的に振り返ってみたいと思います。

群馬大学陸上部 81秋
      1981年秋 群馬大学荒牧キャンパスの陸上競技場脇にて 山西監督・部の仲間達と

山西哲郎先生とは、どのような人物であるか?

大学の教官であり、
大学陸上競技部の監督であり、
市民ランナーの先駆的指導者であり、
ランニング文化の啓蒙家であり、
市民のための健康スポーツの指導者でもあると言えるでしょう。

大学の教官の職務は、研究と教育が2本の柱だと言いますが、
山西先生は研究者として、また教育者として活躍されました

研究者としての山西先生は、
運動生理学が専門であり、
その中でも全身持久力を支える最大酸素摂取量の研究や
乳酸の研究をしていたことを覚えています。
その他、運動生理学にとどまらない研究もされていました。

私は、群馬大学教育学部の社会科学科という科に所属し、
山西先生は体育科ということで、
卒論等で山西先生の指導を受けたことはありませんが、
陸上競技部員(中長距離ブロック員)であったため、
山西研究室で行なわれた最大酸素摂取量の測定実験に
被験者としてまた手伝いとして何度も参加しました。
そのおかげで、最大酸素摂取量の意味するものとか              ※1
自分自身の最大酸素摂取量の値だとかを知ることができました。

思い返してみると、
高校時代の陸上競技部の顧問教諭が、
大学時代の山西先生の教え子と言う関係から、
やはり群馬大学まで来て最大酸素摂取量を量る実験で
被験者をしたことがありました。
山西先生とは、高校時代からつながっていたのです。

1979年に大学に入って、山西研究室に出入りするようになると、
蔵書やファイル類の多さにびっくりしました。
そして、その数々のファイルやノートには、
山西先生の様々な実験データが収められていることも知りました。
いつであったか、卒業後のことであったかと思いますが、
先生に何か質問した時に、
先生は「昔、実験した」というようなことを言いながら、
古いファイルを書棚から抜き、開いてみせてくれました。
ペラペラとめくるファイルのページからは、
様々な実験データが見えました。
若い頃意欲的に研究した様子と、
先生の記憶力の良さに感心したことを覚えています。

また、研究室の蔵書の中には、
(多分)スウェーデンの運動生理学者オストランドの書など、      ※2
運動生理学はじめ数々の専門書があり、
ケネス・クーパーの『エアロビクス』(1968)や
ボブ・アンダーソンの『ストレッチング』(1975)など
当時アメリカから輸入された最新のムーブメントの元となった本もありました。
私が、大学にアカデミズムの片鱗でも感じたとすれば、
それは山西研究室の風景が元になっています。

(続く)


※1 最大酸素摂取量の意味するもの
最大酸素摂取量とは、
一定の時間内に、空気中の酸素を最大でどのくらい体内(筋肉中)に取込めるか
を量った量のこと。
この量が大きいほど、全身持久力が優れている。

身体運動時には、安静時よりも酸素が多く必要になる。
特に、グリコーゲンを酸化・分解することで活動エネルギーを得る
有酸素性の運動では、酸素の摂取能力が高ければ
同じ強度で運動を持続する時間を長くできる。
長距離ランナーについて言えば、
最大酸素摂取量が大きいランナーほど、
よい記録で走ることができるという傾向がある。

ただし、一流の競技ランナーなど高いレベルのランナーの間では、
最大酸素摂取量以外の要素が大きく影響し、
最大酸素摂取量が大きいほど速いとは言えなくなる。


※2 スウェーデンの運動生理学者オストランドの書
最大酸素摂取量など、
持久性に関わる研究で先駆的な役割を果たした(?)。
(間違いがあったら指摘して下さい。訂正します。)

書名等は覚えていないがかなり大部の書で、
載せてあったいくつもの表(換算表)を見ながら
実験データを処理・計算したように記憶している。


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プロフィール

フィジカル系職人

Author:フィジカル系職人
職業:マッサージ・鍼治療院経営
   アスレティックトレーナー
生息地:群馬
本名:佐藤 暢彦

身体のこと、治療のこと、スポーツのこと、などなど。日頃考えていること、興味を持っていることについて、書いていきたいと思います。

このブログについて:更新作業は治療室内のMacで行なっていますので、早朝や深夜、休業日の木曜に更新されることは基本的にありません。



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